自分でやると決めたことはやる。
自分でやらないと決めたことはやらない。
そんな風に過ごせたなら、良い日だ。
それが他者からどんな評価になるのかなんてことは省みず、ただ「自分で決めた」という一点のみで過ごす。
それは自由であり、きっと誇りにもなるだろう。
生活に疲れ、もう夢も語れない人間にも可能な、自由と誇り。
自分でやると決めたことはやる。
自分でやらないと決めたことはやらない。
そんな風に過ごせたなら、良い日だ。
それが他者からどんな評価になるのかなんてことは省みず、ただ「自分で決めた」という一点のみで過ごす。
それは自由であり、きっと誇りにもなるだろう。
生活に疲れ、もう夢も語れない人間にも可能な、自由と誇り。
医学の勉強をしていると「なんでそう略すの?」という略語にブツかる。
一番ポピュラーなのはSpO2だろう。
経皮的酸素飽和度とか経皮的動脈血酸素飽和度と訳される。
「saturation of percutaneous oxygen」の略だとされるようだが、その原典・初出がハッキリしないので、言葉の定義をしっかり把握したい学生は皆モヤモヤさせられる(笑)
あとは呼吸器系だと、一定時間の間にどれだけ肺胞内の空気が換気されるかを示す「肺胞換気量」という用語がある。
換気や潅流は「perfusion」なのでPと略して欲しいのだが、なぜか「Q」と略すのである。(正式にはQの上にドットが付く。)
ちなみに「なんでそう略すの?」の世界チャンピオンはPHであろう。
デンマークの化学者セーレン・セーレンセン(1868年〜1939年)は水素イオン濃度の重要さに気付き、それを示す指標として水素イオン指数 hydrogen ion exponent を考案した。
そこまではいいのだが、セーレンセンはなぜか水素イオン指数をPH+と表記して、しかもその理由を説明しなかったのである。
なんというモヤモヤ感!
ちなみに当時セーレンセンが所属していたのはカールスバーグ研究所。
世界的ビールメーカーで、英サッカープレミアリーグのリヴァプールFCのスポンサーでお馴染みの、あのカールズバーグである。
「グラビア」という単語について調べようとググっていたところ、下記のサイトで「没後写真」というキーワードが目に入った。
言葉通りの意味で、その人物の没後=遺体を撮影した写真だそうである。
「死者を悼み、その姿を留め置く」という意味では遺影に近いのだろうが、今日の感覚だとあまりに直截的過ぎるように思われる。
しかし同時に、その直截さは誰もが理解し得るものに違いない。
最近、稀にだがSNSへ家族の遺体画像を投稿する人がいる。
私はこれまでそういった行為に対して「うーん批判する筋合いも全く無いが、しかし遺体にスマホを向けてSNS上で不特定多数に公開するというのは如何なものかなぁ……」という感覚でいた。
しかし「死者を悼み、その姿を留め置く」という精神に立てば、その手段がより効率的になっただけなのかも知れない。
鉄塔に以前から興味がある。
鉄塔を大日本国語辞典で引くとこうある。
てっ‐とう‥タフ【鉄塔】
〘名〙
①鉄の塔。
*今昔(1120頃か)七
「其の傍に一の鉄塔有り、大般若経の二十万偈を収め奉り」
②高圧送電線などの支柱とする、鉄骨を組んだ柱。
*潮騒(1954)〈三島由紀夫〉七
「鴎が、鳥羽駅前のケーブル・カアの鉄塔よりも、もっと高く飛ぶ瞬間に」
もちろん①の今昔物語にある鉄塔は仏教経典を納めるもの。奈良時代に称徳天皇が百万塔という木の小さな塔を百万基作らせ、その中にお経を納めたという。法隆寺に今も一杯あるらしい。
私が気になるのは②の方である。ブリタニカには②の意味に限って記載がある。
鉄塔
てっとう
iron tower鉄骨,鉄柱を素材とした塔。 無線通信用鉄塔,索道用塔,照明塔などがあり,その形状および規模は用途に応じて多種多様で,四角形または三角形の断面のトラス 構造が一般に用いられる。 鉄塔が造られはじめたのは,鉄が大量生産されるようになってからで,歴史は新しく,柔軟性,軽量にできるなど,鉄のすぐれた特色を生かすことができるが,鉄塔は一般に屋外にあって雨露にさらされているので塗装や亜鉛メッキを施す必要がある。 付帯設備としては昇降階段,ステップボルト,踊り場,避雷装置などをつけ,地表面から 60m以上の高さの鉄塔は通常,航空障害灯および昼間障害標識を設置しなければならない (航空法 51) 。 歴史的なものとして,1889年パリ万国博覧会のシンボルタワーとして建造されたエッフェル塔 がある
そうか、エッフェル塔も鉄塔なのか。エッフェル塔は1889年の第4回万国博覧会の目玉となるべく建てられた高層建築だったが、その後に電波を受信したりラジオを送信したりといった無線通信用鉄塔としての機能を持つようになった。
そして初めて聞いた言葉だが、索道とは架空索道の略で、ロープウェイ等を指す言葉である。確かにロープウェイは鉄塔から鉄塔へとケーブルを渡して運行している。
さく‐どう‥ダウ【索道】
〘名〙 (「架空索道」の略) 空中にかけわたした鋼製などのロープに運搬器をつるして、人や貨物を運ぶ設備。ロープウエー。
*禰宜様宮田(1917)〈宮本百合子〉六
「此那こんなところから、索道が見えようとは」
かくう‐さくどう‥サクダウ【架空索道】
〘名〙 鋼索(ケーブル)で運搬器をつるし、旅客、貨物、鉱石などを運ぶ装置。山地、港湾など陸上運搬に不便な場所で用いられる。空中索道。空中ケーブル。ロープウエー。〔新しき用語の泉(1921)〕
他には電線を伸ばすための送電用の鉄塔、風を観測するための鉄塔、煙突を支えるための鉄塔なんかがあるようだ。日本鉄塔工業株式会社のホームページには、鉄塔事業の実績紹介として、オービスを乗せるためのアーチ型の構造が載せられている。うーん、あれも鉄塔なのだろうか。
名称は御厨駅。
御厨を大日本国語辞典で引くとこうある。
み‐くりや【御厨】
〘名〙 (「み」は接頭語)
①奈良時代以来、天皇の供御くごの魚貝・果物類を調進するために設置された所領。畿内、特に近江国に多い。はじめ大膳職に属したが、のち内膳司の管轄に移った。
*三代格−四・延暦一九年(800)五月一五日
「筑摩御厨長一人」
②平安時代、蔵人所の所領。
*九条家本延喜式裏文書−康保三年(966)五月三日・清胤王書状
「右件黒作、如㆓国定㆒奉㆑分已了、長嶋・仲河・小江・竈門四箇御厨持来已了」
③神饌をととのえる建物。神に供える食物を調理する所。
④特に、伊勢神宮の神饌を用意し、貢納物を収納する建物。〔皇太神宮儀式帳(804)〕
⑤転じて、平安時代以来、伊勢神宮に神饌を貢進する所領。伊勢・志摩両国内のほか東国にも数多く置かれた。伊勢神宮を本所とする荘園の性格をもつ。
*梁塵秘抄(1179頃)二
「みくりやの最御崎、金剛浄土の連なごろ」
⑥賀茂神社の神饌貢進のために諸国に置かれた所領。
*百練抄−寛治四年(1090)七月一三日
「賀茂上下社被㆑奉㆓不輸田六百余町㆒。為㆓御供田㆒。又分㆓置御厨於諸国㆒」
⑦摂関家に食料として魚介類などを貢進する所領。
*九条家文書−建長二年(1250)一一月・九条道家惣処分状
「前摂政〈略〉家領〈略〉伊勢国山郷庄、富田御厨〈寄進所〉」
角川日本史辞典にはこうある。
御厨 みくりや 古代・中世,天皇の朝夕の膳を調進する所領や伊勢神宮・賀茂 かも 社の神領のこと。魚介などの供物を調進する屋舎をさしたが,のちその神領を意味するようになった。内容的には荘園と等しい。伊勢神宮の場合は,伊勢を中心に数百か所に分布していた。
天皇=神への捧げものを収穫したり調理したりする場所。
グロテスクかグロテクスか、いつも分からなくなる。いや分からなくなるどころか、グロテクスが正しいのではと思ってしまう。テクスチャーtextureという単語に引っ張られ、「よく分からんが"気持ち悪い質感"だとすると、正しいのはゲロテクスかな?」などと思ってしまうのだ。
そろそろ間違えないように改めて調べてみよう。
ブリタニカ国際大百科辞典アプリにはこうある。
グロテスク
グロテスク
grotesque
人物,動物,花,果物などを含むアラベスク 文様の一名称。 イタリア・ルネサンス期にネロの黄金宮殿 が発掘され,そのグロッタ に人物や動物の足が植物と化した唐草文や,怪鳥が飛びかうなかに草花を散りばめた奇抜な壁面装飾を施したものが発見された。 このため,この種の文様を「グロッタの文様」の意味でグロテスキと呼んだ。 グロテスクはその英語・フランス語読み。 この文様は当時の建築や工芸品の装飾として流行し,以後ヨーロッパの伝統的文様の1つとなった。 バチカン宮殿のロッジア の装飾にラファエロ が用いたのがその初期の例。 新古典主義時代に,この語は醜悪な人物,滑稽な容貌などに用いられるようになり,現在一般に用いられる意味はこの用法に近い。 しかし美学的には,ロマン主義の時代に,T.ゴーチエ その他によって,崇高美に対立する基本的な美の要素として復権している。
同じくブリタニカ国際大百科辞典アプリには「グロッタ」も「黄金宮殿」の項目もある。
グロッタ
グロッタ
grotta
ヨーロッパの庭園に造られる人工の洞窟。 その起源は古代ギリシア,ローマにさかのぼるが,当時は神々の聖所としての意味をもち,冥界への入口とも考えられた。 15世紀にイタリア・ルネサンスの庭園に再び登場するが,これは古代庭園に存在したと考えられたからであり,夏季の格好の涼み場として噴水を伴って造られた。 L.アルベルティ は古代人がグロッタを自然の洞窟に似せて造り,軽石を張ったと記し,16世紀なかばのイタリア式庭園の確立期のグロッタには例外なくこの記述の影響がみられる。 その一方でグロッタには当時の文学や音楽の牧歌的な志向も関連しており,フィレンツェのパラッツォ・ピッティ の大グロッタのようにアルカディアの風景をフレスコ画とレリーフで示すものもあった。 この流行は 16世紀中にヨーロッパ各地に広まったが,次第に水仕掛けによる遊戯的な性格が強まった。 フィレンツェ郊外のメディチ家のプラトリーノのビラのように水力で人形が動き,グロッタの中に声や音を発する装置が仕込まれたものも現れた。 17世紀のフランス庭園,18世紀の風景式庭園でも好んで造られ,スタウアヘッド の庭園はその代表例。 また,中国庭園をまねて,岩による築山の上に東洋風の亭を配し,築山内部にグロッタを造った庭園も多くみられた。
黄金宮殿
おうごんきゅうでん
Domus Aurea; Golden House of Nero64年のローマ大火後,皇帝ネロによって造営された大宮殿。 ドムス・アウレアともいう。 宮館,浴場,庭園,人造池,噴水などが,パラチヌス丘からエスクイリヌス丘まで,1.5km2にわたる敷地に配置された広大なものであった。 タキツスによれば,宮館の設計はセウェルスとケレルの2人。 宮館のプランは,入口のウェスティブルムをはさんで左右に東西両翼が広がっていたことが,発掘によって明らかとなった。 西翼は矩形の部屋が整然と並ぶ比較的単純なプランであるのに対し,東翼は,ボールト屋根をもつ八角形のホールを中心に,南面を除く各方向に放射状に5つの部屋が配置されるという変化に富んだ構成を示している。 各部屋は交差ボールトの屋根をもち,スタッコ,大理石,壁画などで装飾されていた。 豪壮さ,華美さのゆえに「黄金宮殿」の名で呼ばれた。 有名な『ラオコーン』群像 (バチカン美術館) は,1506年にこの宮殿遺跡から発掘されたものである。
つまり黄金宮殿のグロッタgrottaが先ず存在し、そこに-esqueという「~風、様態が似ている」を意味する接尾語が付いた。
grotta + esque = grotesque
グロテスクとはグロットエスク、グロット風だったわけである。
しかし調べてみると、語源となったネロの黄金宮殿のグロッタを飾った文様が気になる。Wikipediaに小さな画像が貼られており、ブリタニカアプリにも文様が紹介されているのだが、どこかに全体像が分かる高精細な画像は無いものか?
・・・・・・と更にネットで調べてみると観光サイトに幾つかの写真があった。
どうやら既にかなり損傷されているようである。残念。
Domus Aurea Tour: Nero's Palace with Aperitivo | Through Eternity tours
ビューフォート風力階級表は陸上・海上で観察される現象によって風の強さを分類したが、後にどの程度の風速に相当するかが加えられた。その際に用いられた単位はノット(knot)である。
なぜ速度を表す単位がノット=結び目なのか。16世紀頃に等間隔に結び目を作ったロープを海に流し、「30秒間で結び目が幾つ繰り出されるか」で船の速さを計算したのが由来だという。
現在の1ノットは時速1.852km。非常に中途半端な印象だが、これは1海里が1852mだからだ。そして1海里とは地球上の緯度1分に相当する長さである。(もう結び目は関係が無い)
つまり1ノットで1時間航行すると、1分進んだことになる。
緯度や経度は「北緯35度40分33.2秒 東経139度44分41.9秒」といったように記載される。
分・秒の部分は時間と同じ60進法である。
緯度は赤道を0度として北緯90度が北極点、南緯90度が南極点である。
360°移動すれば世界一周ということになる。